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オンライン辞書,Dictionary


No.136
作文
2020-05-19
出身: 中国
居住: 中国
20代 女性
ログイン名: kiwi
タイトル:自己意識
  この間、友達に中国語でも日本語でも話すとき、「私は…」、「私は…と思う」などの口癖があると言われて、本当にびっくりしました。実は最初に日本語を勉強した時、先生も日本人は直接に「私は…」という表現で自分の意見を述べるのではなく、より婉曲的な表現をよく使います。しかし、おそらく自己意識の程度が違いますから、婉曲表現はうまく覚えていません。

自己意識の差が会話にはよく感じられます。話すとき、中国語や英語などの言語の中で、よく“我觉得…”、“I think that…”など「私は…と思う」の意味のある表現で主張を話します。けれども、それに対して、日本語では「…と思う」、「…ではないでしょうか」などで自分の意見を伝えます。

そして、動詞の分類には自己意識の差が見られます。例えば、日本語の授業で「思う」と 「思っている」二つの言葉の使い分けを勉強しました。結論は「思う」を使うと、主語は話し手だけです。「思っている」を使うと、主語は話し手と第三者二つの場合があって、文脈によって判断するしかありません。なぜこの区別があるのかというと、日本語の動詞には「思考動詞」という種類があるからです。「思う」のような思考動詞は使う時、話し手と他人の区分が必要です。しかし、中国語にはありません。

こうして、日本語で会話でも本を読むときでも、この文の主語はいったい誰かとよく混乱しています。特に印象的なのは、ある日本語の作品の一部を翻訳するという宿題があって、そして、文脈をうっかりしてよく読み解かなくて、結局、できたものは原文と全く逆になってしまいました。本当に恥ずかしいなあと思います。

けれども、「私」を回避して、自分の意見や価値観を持っていないように見えるかもしれません。また、自分を隠して、他人と遠い距離を置くのではないでしょうか。時々そう思います。しかし、言語を勉強するのはそもそもある国やある文化に慣れてなるということです。日本文化にもっと深く理解できるように、これからも頑張りたいと思います。
 
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