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オンライン辞書,Dictionary


No.139
作文
2020-05-19
出身: 中国
居住: 中国
20代 女性
ログイン名: リンカ
タイトル:曖昧な日本語
  日本語を勉強するのも三年になった。最初は五十音図ですら覚えられなく、話すとすぐ口ごもってしまう初心者だったが、今もすらすら会話できるようになった。でも、最初から悩んでいること一つある。それは日本語の曖昧さであること。
中国語も曖昧で、相手を混乱させる言語だと言われているが、日本語はより婉曲な表現の傾向があると思う。日本人は普通に理解しているが、外国人にとっては日本人の「はい」、「そうですね」は賛成か、それともただの相槌か。「いいです」、「結構です」はいったい肯定と否定のどちらかなど、文章を読むならまだしも、日常会話をする時はそういう言葉に困るだろう。
それは日本人の友達と交流する時に実感した。「大丈夫か」と転んだ彼女に聞いたが、「全然」という返事に迷った。そしてまた、アイスの味はどうだったかなと聞く時も、「全然いいよ」と答えた。どちでも「全然」なのに、意味は全く違っている。初めて聞いた時は、相手の気持ちがわからなくて大変だったので、何か言いたいのかはっきり教えてもらいたいと頭を抱えた。
でも日本語を勉強しつつ、日本人のその曖昧さに包む相手への思いやりをしみじみ感じた。間違った言い方をしても、私を自分の考えを話せるよう、まず優しく最後まで聞いてくれる。日本でバスに落ちた物をすぐに手に返してくれただけでなく、おにぎりも丁寧に冷蔵庫に冷えておいてくれた。いつも相手を思いやったり、相手の立場に立って考えたりこそ、はっきり言わなくても、お互いにきもちがわかる。「争わない」「遠慮する」ことが多いのはこのいたわりを美徳としているということが分かった。
日本語の曖昧さにも素晴らしい言葉が生まれた。夏目漱石の「月は綺麗ですね」は誰でも知っている、心を惚れる名言。美しい月夜の光景とともに、それは永遠に忘れられない告白となるだろう。ストレートな言葉は口にしないけれど、ちょっぴり遠回しでロマンチックに愛を伝える。それで十分気持ちは伝わるのだ。
そして、今も優しさが溢れた日本語に影響された。断るときは相手を最大限に傷かないよう、積極的な言葉を使うとか。直接に自分の言いたいことを吐くではなく、相手の気持ちも考えるようになった。今時々会話中の遠回りする言い方に戸惑ったことがあるが、その優しい言葉遣いを身につけたいと思う。
 
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