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オンライン辞書,Dictionary


No.44
作文
2020-04-26
出身: 日本
居住: オーストラリア
20代 女性
ログイン名: なつき
タイトル:言葉遣いから生まれる自分らしさと社会規範
 
言葉遣いはいつも私の中の大きなテーマだ。言葉遣い一つで話し相手の私への印象は大きく変わる。名詞の前に「お」を付ければ丁寧さ、女性らしさが伝わり、付けなければ男性のようなさっぱりさが伝わる。中学二年生の時に渡米し、周りのインターナショナル生がアメリカに染まって行く中、私は日本を外から見てみてさらに日本文化が好きになっていった。確かに、日本語では女性言葉、男性言葉の違いがとてもはっきりしているせいで、日本社会は生きづらいと感じてしまう人もいるだろう。しかし、表現方法の一つとしてそれらを見ると、女性言葉、男性言葉がある日本語だからこそ感じられる優美さもあると思う。この独特な日本語の「品」を大切にしようと、私は初めて会う人や人前で話す時はなるべく丁寧に言葉を選ぼうと心がけている。しかし、崩れた日本語を使う同世代の中でそうしてしまうと、私の第一印象が「女性らしい人」や「どこか取っ付きにくい人」となってしまい、そこから距離を縮めるのに時間がかかってしまう。3人の兄の中で育った私は油断すると汚い言葉を無意識に発してしまう可能性があったため、「綺麗な日本語を使う理想の女性像」に近づくためにいつも言葉の選択を慎重に行なっているが、やはり同世代と楽な関係を築くにはある程度崩れた日本語を使わないと難しい。たとえ崩れた言葉を使う仲間と仲良くなっても、女友達が「食べる」を「食う」や、「美味しい」を「うまい」と言うとどこか引いてしまう自分もいる。どんな言葉を使うかはその人の自由なのでそれらを指摘しようとは決して思わないが、この「引いてしまう」という感情は、日本社会やメディアから作り出されたあるべき女性の姿というステレオタイプから来ているのかもしれないと思うと、自由の国アメリカで教育を受けたにも関わらずそのような見解をする自分が少し嫌になる。私は、女性はこうであるべきだ、というよりも、こういう女性でありたいという意志から丁寧な日本語を使おうと心がけている。これからもっと個人の個性が生かされる社会へ移り変わる中で、言葉遣い一つでその人の人間性が決められてしまうよりも、来たい服を自由に選ぶように、自分の好みを表すツール、理想の自分に近づくルーツとして、言葉遣いが使えられるようになればなと思う。
 
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