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オンライン辞書,Dictionary


No.57
作文
2020-04-27
出身: 中国
居住: オーストラリア
20代 女性
ログイン名: ジン
タイトル:言葉遣いの社会規範
  私は、学校で子供たちが教師や親と話す時に尊敬語を使うように教えられた都市で育った。祖父母と一緒に暮らすことになり田舎に引っ越した時、異なる環境での異なる言語習慣に気づいた。

この田舎に住んでいる人は敬語を使わない。挨拶する時、「你好(こんにちは)」の代わりに、より形式張っていない「吃了吗?(食べた?)」と聞く方が多い。ここでは、社会的地位などを示す必要はないので、見知らぬ人と話すのにカジュアルな言葉を使うのは全く問題ではない。また店に入る時、店員はおそらくあなたを友達のように扱って話し、あるいはうなずくだけ。私たちはこのような交流に慣れているので、相手が無礼であることを感じない。重要な場合があれば、丁寧語で十分である。その時、相手も丁寧語で返事することを期待している。私が知っている限り、上司へのメールを書く場合にのみ、敬語を使う必要がある。

日本では、良い関係にある人だけがカジュアルな言葉を使うことができる。敬語がなかったと想像して、メールで「お願いがございまして」や、「大変失礼ではありますが」などのフレーズを省略しても、情報の送信には影響しない。代わりに、会話がより効果的になる。しかし、敬語は、人々の社会的地位を示し、相手に対する敬意を表すために存在する。これは日本語の特色の一つである。日本の文化は、礼儀正しさを大いに重視している。私たちは尊敬、謙譲、丁寧さなどの感情を普通な言葉で表せないので、これらの感情を補うための敬語が必要である。

敬語を勉強している時、そういう複雑な敬語が世界になかったらいいなと思っていた。しかし今、敬語がなければ人間の言語情報伝達の効率を向上させるが、代償は言語芸術の一部を失うことがわかった。それは価値があるだろうか。
 
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