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オンライン辞書,Dictionary


No.65
作文
2020-04-27
出身: 韓国
居住: オーストラリア
10代 女性
ログイン名: じみん
タイトル:言葉遣い:敬語
  社会の中で私たちはたくさんの人と関わりながら暮らしていく。話し相手と自分との社会的地位を慎重に考慮する日本の文化において、敬語は相手に対する思いやりと尊重の気持ちを表すに優れた手段だと考えられる。私は幼いころから長い間日本で育ってきて、このような日本語の性質にあまり意識しないままであったが、中学校3年生のころ初めてインターナショナルスクールと言う英語環境に放り出された時、英語には存在しない日本語の丁寧さに今までにない魅力を感じた覚えがある。

インターナショナルスクールに初めて転校した時、日本人の先輩がいたため、私は今まで日本の中学校での先輩への接し方と同じように丁寧語で話したところ「敬語かよ」と笑われた記憶がある。インターナショナルスクールに転校し、欧米の環境と初めて衝突した時は、日本とは一層異なった文化に躊躇してしまう瞬間が多くあったのだが、時間が経つうちに先生や先輩などの目上の人とももう少し気軽に接することができるようになっていった。それ以来、私は必要以上に丁寧な日本語に対して息苦しいものだなと否定的に感じていた時期もあった。しかし11年生から12年生の間にボランティア活動をする機会が多くなり、2年間の間、放課後によく老人ホームや学童保育に通っていた。そのようなボランティアの場では御老人の方々やスタッフの方々、学生たちの保護者の方々など、様々な目上の人とたくさん接する機会があったのだが、その度に敬語の使い方に困ることがよくあった。丁寧に話しているつもりでも、尊敬語と謙譲語をつかわず、ついカジュアルな丁寧語になってしまっていて、敬語をよく熟知できていない自分に気づくことが多かった。このようなことに気づいた時、一緒に働いている現場の大人の方々の言葉遣いを聞いていると、あまりにもその話し方が大人らしく上品で見習いたいと思った時がたくさんあった。

もちろん英語でも大人らしく相手に対する敬意を表しながらの喋り方はできる。しかし英語では日本語特有の慎ましさや丁寧さが伝わらないと思う。隣の国韓国でも敬語を使う時、相手のことを高める尊敬語は多く使われるが、相手に対して自分を謙遜する 謙譲語は存在しない。このように日本語には相手に対し思いやりと感謝を持ち、周りの人に丁寧に礼儀正しく接する日本人の性格や文化がそのまま映し出されている。このような点で私は日本語はとても上品で素敵な言語だと思う。
 
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