選択した文章の本文です。
No.276 |
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出身: 韓国 居住: オーストラリア |
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ログイン名: Jimin タイトル:コメント |
興味深い作文でした。
特にりんごさんが例として挙げて下さった 食堂のおじさんとりんごさんのメンバーの方の「いいです。」に対する解釈の違いについてのお話は身近に起こりうることだと思い、とても共感できました。その状況での「いいです。」は「大丈夫です」の意味の断りの言葉なのか、「もっとください」の意味の受け取りの言葉なのか、本当はどっちが正解か気になりますね。 私も同じようなことを経験したことがあります。英語を話す友達に “So, are you not going to eat this?”(じゃあこれ、食べないんだね?)と聞くと友達は “No” と答えるのです。しかしこの “No”の意味は 私が聞いた質問に賛成し 「うん、食べない。」という意味なんです。英語にあまり慣れていない頃の私は、彼女が私の質問に 「いや、食べる。」 と反対していると思い、いつも友達に 「するの、しないの?」、「食べるの?食べたくないの?」と何回も聞き返していた経験がたくさんあります。「今の文脈で、もし食べないんだったら YESと答えるのか正解でしょ。何でみんなNoって答えるの?」といつも友達に文句を言っていました。しかし、文法的には友達が正解なのです。このような経験も敬語を使う時ではありませんが、りんごさんがおっしゃった日本人でも外国人でもみんな考え方と捉え方が違い、相手は違う意味で解釈してしまう可能性があるということを見せてくれたと思います。 私もりんごさんの意見に賛成です。私たちの人生で言語はとても重要な役割をしていて、生きていく中で欠かせないものです。そんな中、言葉遣いの間違いなどによって、時には私たちが本当に意図したそのままの意味が伝わらず、相手は違った意味で理解し、誤解を招くことが多々あり、結局私たちはあまりよくない方向に導かれてしまうこともよくあるでしょう。でもそれを恐れて逃げてばかりいると、絶対成長することはできません。私たちが言語的な面でもっと成長するために今必要なことは身の回りの人間関係をもっと築いていく必要があると考えられます。そのためには歳、性別、国籍に関わらず、続けてたくさんの人々とコミュニケーションをとり、経験を積み重ねていくことが重点だと思います。 |
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