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オンライン辞書,Dictionary


No.454
No.47へのコメント
2020-06-05
出身: オーストリア
居住: オーストリア
20代 男性
ログイン名: コウジ・リディカット
タイトル:若者の言葉と敬語
  Hpl21の作文を読んで若者言葉のいいところを考えてみた。英語と比べると日本語の丁寧語とかため口言葉などを通して日本語の法はもっとそしきてきな感じがする。従って若者はなぜ自分の意見を敬語で表せない時もあるのかはシステムがありすぎて間違えたくないからだと思う。日本に人はインタビューをしてる時にはたいてい丁寧語で考えを伝えないと失礼だと思われる。しかし英語の場合はそういう制限はあまりない。もちろん、オーストリアにも色んな社会規範がある。だが、日本語見たいな言語に関する規範はあまりない。「日本の言語は制限過ぎて若者は敬語を習わなくちゃいけないではなく、システムを変えないといけないことである」と言う人もきっといるが、僕は日本語の特徴を守った法がいいと思う。教育制度に敬語をもっと教えたら若者は敬語を使う時にもっと自信があることになる。
なぜ日本の言語のシステムを変えなくていいかと言うと特徴を守るためだけではなく、敬語を通して若者は大人を尊敬するように促す。Hp121は「若者の言葉遣いは彼らの政治的な現実を反映するのではないだろうか」と書いたので僕も言葉遣いはその人の政治的な現実を反映すると思う。先週、僕の70歳のお父さんはお買い物に行って車から出てる時、ドアが風で急に開けてとなりの車に当たった。その車を持ってる人が自分の車のダメージを見るとものすごく怒ってお父さんに色んな悪口を使った。車の所有者は多分、30歳ぐらいの女性だったので僕はこの話を聞くと怒った。若者はこの頃お年寄りを尊敬しないということはこの事件が反映した。オーストリアの若者は自分のことだけを考えて他の人の事を考えない漢字がする。
 
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