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No.566
No.132へのコメント
04/06/2023
出身: Australia
居住: VIC
20代 男性
ログイン名: ushiromiyabrody
タイトル:理解
  Taigaさんの書いた作文は、敬語を理解することの難しさをまとめたものである。確かに、敬語を理解することは難しいが、そもそも物事を理解するとはどういうことなのだろうか。
デカルトは「我思う、ゆえに我あり」という言葉で知られている。彼は自分が本当に存在しているかどうか疑っていたが、現実がどうであれ、自分には考えがあり、その考えを自発的に生み出す何かが実在しており、その何かが自分だという意味である。実は、これ以上のことを確信を持って断言できるようなことが何もないのである。つまり、自分が知っているすべてがあるいは嘘かもしれないということなのである。
時々、自分の理解に反することが起きる。その時、自分の物事に対する理解がまるで間違っていると気づき、混乱する。そこで、脳は自分の間違っている部分を探し、訂正しようとするが、その結果が人により全く違うこともある。たとえば、自分ではなく世界が間違っていると判断し、自分の元々の理解を保つような人もいれば、無意識に自分の物事の捉え方を変えて自分が間違っていたことを認めないような人もいれば、真剣に現実と自分の理解とのずれについて深く考察して自分の理解をアップデートさせるような人もいる。
敬語もこのようなものではないだろうか。たとえば、時々映画で自分より身分が低いと見下していた人が実際に自分の会社の社長だったりするシーンが出てくるが、まさに理解が間違っていたことである。
 
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